武蔵大学社会学部の松本恭幸教授のゼミ生たちの協力で、地方紙とネット、地域と地方紙などをテーマに報告し、意見交換する機会がありました。なかなかすっきりした説明のできない微妙な問題も多々ありましたが、既存メディアとはかなり異なるタイプのローカルメディアについて地元仙台の事例に絞って報告しました。
その際、事前に届いた質問に回答する時間がありませんでした。ゼミ生たちは拙著「仙台発ローカルメディア最前線 元地方紙記者が伝えるインターネットの未来」を読み込んで詳細な質問リストを準備してくれました。せっかくなので、松本ゼミの了解をいただいて以下に紹介します。独断と偏見がひどい、と不愉快に思う人もいるかもしれませんが、地方紙とネットの行方について大きな関心を持ってくれている若者たちに免じて勘弁してください。
質問(1)と質問(2)を初めに紹介します。十数回続きます。
【質問(1)】まず初めに、地方紙が一体どういうものなのか、そして全国紙と地方紙が持つ明確な役割の違いについて伺わせてください。
【答え】 地方紙にもさまざまあって、多様な歴史、文化を背景にしています。地方紙の世界で、ものを考え、実践してきた立場で言えば、「全国」と「地方」に区分する発想自体に既に「落とし穴」が潜んでいます。「中央」と「地方」、「東京」と「地方」といった区分法と似たところがあって、両者を分けて、単純化することで説明はしやすいですが、半面「地方」の多様性を見失ってしまうおそれがあります。
そうした前提を置いて質問に答えるとすれば、地方紙は「東京ではない都市・地域」に軸足を置きながら世界を見る・考える点に最大の特色があります。わたしが育ててもらった河北新報は「東北地方」と呼ばれる地域に徹底的にこだわってきました。「白河以北一山百文」という表現を聞いたことがあるでしょうか。東北を蔑視する明治以来の風潮をうかがわせます。「河北新報」という名称はそうした風潮に反発し、立ち上がる反骨の気概を表わしています。「東北」の地から発想し、報道し、提言していくのがメディアとしての役割です。
「地域」に軸足を置いて発想し、報道する姿勢は何よりも、多様な価値観を提供します。中央政府が一方的に物事を決め、ルールや情報を流し、人々が素直に従うことをもって平穏と考える発想と、基本的に対峙するものです。
全国各地に存在する地方紙には、河北新報同様、それぞれの背景や歴史、地域メディアとしての存在理由があるはずです。ネット社会においても、地方紙特有の価値を徹底する必要があるのですが、実際には、新聞という伝統的なパッケージを大事にするあまり、ネット世界に飛躍できないでいます。地域メディアとしての精神、発想はそこそこ持っていても、ネット社会に対応するだけの意欲や知識、技術に欠けるため、ネット社会を自分たちのステージ、土俵と考えることさえできないでいるのが実情です。もったいないことです。
2回目は⇒こちら