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「聞き孔」から人生を知る/朗読ユニット「100グラード」の渋谷亜也さん公演 仙台

2014年に活動を始めたリーディングユニット「100グラード(ハングラ)」(渋谷亜也GM)の第4回公演「忘」が2018年2月3日、仙台市青葉区一番町のカフェ「キジトラ」で開かれました。伝えたい内容を持ち、自分ならではのスタイルで聴衆(市民)の前に立つ人自身がメディアにほかならないという理由で「100グラード」の活動に注目してきました。以下、その感想をまとめたメモです。文章を推敲することの意味など、未消化なポイントは今後の宿題です。

「リーディング」の厳密な定義は難しいのですが、ここでは「朗読」あるいは「朗読劇」と言い換えます。「100グラード」のリーディングは一人ないしは二人で朗読するスタイルです。基本的に音響は使わず、渋谷さんらが観客の前に立ち、台本を朗読しますが、楽器の演奏者と共演した例もあります。

今回は渋谷さん一人による公演でした。「たねいもisロック」「ひつじさんのおうち」は渋谷さん自身が書いた文章です。「ぜつぼうの濁点」は絵本「ぜつぼうの濁点」(文・原田宗典、絵・柚木沙弥郎)から。ニュースサイトTOHOKU360に渋谷さん本人が通信員として書いた記事を朗読する「ニュースリーディング」も、新しい分野として注目されます。

朗読は「非日常と日常の間に、ふわふわした感じをゆったりと楽し」(渋谷さん)む世界です。朗読者の言葉に耳を傾けながら、話の流れを楽しみ、言葉の抑揚や響きに身をまかせます。一つの言葉にうっかり気を奪われると、前後の関係が分からなくなります。最初からやり直してもらうことは当然無理ですが、それもまたよし、でしょうか。

映画評でも知られる小説家、辻邦生さんが「私の映画手帖」(1988年)の中で、映画について「覗き孔(あな)から人生のスペクタクルを見」ると言っています。辻さんの言葉を勝手に拡大借用すると、「リーディング」は「覗き孔」ならぬ「聞き孔」を通して人生のスペクタクルを味わう機会-と考えればいいのかもしれません。

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