単なる偶然なんだろうと思いますが、新聞や放送の今後について「米国で勉強する機会をもらった」という話が立て続けに飛び込んできました。聞けば、既存のメディアとして先行きを見通すことが難しいので、米国のICT事情をしっかり学び、自分がかかわるメディアの将来ビジョンを考えたいとのことです。
メディアビジネスの新しいモデルをどう作ればいいのかを、どこで考えるかは問題ではありません。というか、自分の守備範囲とあまりかけ離れたところで意識を広げても、あまりいい結果にはつながりません。欧米のモデルが自分の守備範囲においてもそのまま有効ならこれほど楽なことはありませんが、現実にはなかなかそうはいかないものです。
それでも、日常の仕事の現場をいったん離れて、頭を冷やし、新しい出会いの中で刺激を受けたり与えたりするのは、面白いし、非常に有効です。頑張ってほしいものです。
米国行きについてあれこれ聞きながらメモをまとめました。おひとりには参考までにお渡ししました。自分の備忘録にする意味も含めて、差しさわりのない範囲で書いておきます。(長文です。ご注意ください)
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「メディアと地域」
佐藤和文(メディアプロジェクト仙台)
- 基本的な考え方:拙著「仙台発ローカルメディア最前線」の前提
メディア社会の現状については既にさまざま論点があるが、大状況として最も深刻なのは、信頼するに足る情報にたどり着くことが、どんどん難しくなっている点だ。ためらいもなく理由なき誹謗中傷を繰り返す事例がはびこり、「フェイクニュース」はビジネスモデルの顔をして登場することさえある。「フェイクニュース」の実態は非常に深刻なのに、問題を一種の流行現象のようにとらえ、軽視する気分さえ強まっている。
もともと真実を伝える作業は困難な道である。ブログやソーシャルメディアを利用した情報発信が容易にでき、誰もが発信者になれ、膨大な量の情報が流通する社会において、自分に必要な、本当に信頼できる情報を選択するのは難しい。
インターネットが登場してほぼ20年、とりわけソーシャルメディアがもたらしている価値の細分化や分断に注目し、的確に対応する必要がある。特にオンラインで好きな者同士が集うコミュニティ志向の広がりと、その対極にある、嫌いな者同士の相互不信・憎悪の同時進行は、今や現代社会の病巣といっていいかもしれない。
インターネットがもたらしつつある諸問題については、メディアの現場の担い手たちがどう乗り越えるか、その覚悟と具体的な方法論が問われている。この種の諸問題は、ネットが登場した直後から意識されてはいた。「メディアリテラシー」と、それをめぐるさまざまな議論が起きたが、主にネットを使う側のトレーニングの問題、教養のレベルとして位置づけられてきたきらいがある。ネット事業に取り組む企業や人々にとってのテーマと言われることもあったが、その取り組みはデジタル革命の足の速さにまるで追い付いていない。
同時に、いわゆる民主主義的な判断や選択が支配的な社会に住むと、われわれ自身思っていたのに実はそうではなかった。われわれの民主主義は、いとも簡単にポピュリズムの悪弊に飲み込まれがちで、未熟なものであったことが、明らかになってしまった。
こうした問題を多様な局面で乗り越えるには、たとえばメディアがよって立つ歴史や背景を超えて、取り組む必要がある。公的な側面を持ったメディアも、純然たる民間メディアも、例外なく目指すべきゴールは、信頼できる価値観と情報の所在が容易に見通せる社会だ。
新聞社や放送局のような「古いメディア」には「マスゴミ」のような罵倒もついて回る。マスメディア業界が長い間、放置し続けてきた問題も多数残っているが、一方で、長い時間をかけて鍛えられてきた経験や実績がある。その大部分は、古い倉庫に眠っている状況ではあるが、それらを掘り出し、適宜生かしていく以外に、有効な手はない。
その一方で、ネットメディアのような新興のメディアは、伝統的なメディアとは異なる立ち位置と風景が広がっていること、技術やコンテンツ編集の手順等において、新しいニーズのこたえ、ニーズを生み出す力もある。
メディアが信頼を取り戻すためには、ビジネス至上主義的な価値観だけにとらわれているわけにはいかない。ネット社会に生き残るメディアとしての外観・内実を一日も早く身に着ける以外に道はない。時間はあまり残されていない。
以上のような認識のもと、「仙台発ローカルメディア最前線」は発想された。既存メディアが今後、たどるべき方向について具体的に提案することはあえて避けているが、多様なメディアの現場の担い手として、問題に向き合っている人たちには気付いてもらえるように編集してある。
●主なポイント
①NHKの宮城ローカルラジオの取り組み「ゴジだっちゃ」に注目している。特に「だっちゃ通信員」を軸とする『地域密着イズム』。
②NHKのネット活用は飛びぬけている。地域展開も、午後11時過ぎのニュース番組で、目玉の一つとして使えるぐらいのレベルにある。
③そうした前提で、あえてポイントを上げるとしたら、まずNHKが地域との関係で何を目指しているのか、よく分からない。目標は?ゴールは?地域ニュースを万遍なく伝えるだけでは、ほとんど何も考えていない、地方新聞社のウェブサイトとなんら変わらない。
④たとえば、放送の世界について、個人的な関心を一つだけあげると、時間順に配列編成したコンテンツサービスを必要としない人たち、今後、どのようなコンテンツサービスをどう準備していくのか?
⑤地域に由来する新聞社は今後、30年ぐらいの間にどんなステップを想定すればいいか?地域との関係をどうイメージするか?
⑥新聞に代わりうるメディアビジネスをどう構築するか?
⑦「未来ビジョン」(「仙台発ローカルメディア最前線」参照)の策定を自らの意思で、自らの手足を使って行う。
⇒どんな未来を引き寄せたいのか。当事者としての意思がまず大事。
⑧安心して利用できるメディアであること。報道、情報・・。
⑨地域とメディアの関係を考えるうえで、今、一番、重視しているのは参加性。視聴者、読者・購読者が閲覧・参照するだけではなく、参加可能なシーンを無数に開発する。
⑩地域メディアとして、今、保有するリソースの再点検。地域のアクティビストとの連携。特にメディアが蓄積し、保有する情報・コンテンツは社会全体のものとの視点に欠けている。メディアが蓄積し、保有している情報・コンテンツは、メディアにとっては重要な資産でもあるが、資産であると同時に、社会的な有効活用する論理とセンス、事業モデルの開発が重要だ。
⑪重要かつ見逃されることが多いポイントの一つが地域の多様性。地域固有の背景や特徴をしっかり浮き彫りにしながら戦略を立てる必要がある。同時にそのことは、「中央」で考える以上にややこしくて複雑。何か一つモデルを作って、一気呵成に市場を支配するような場面は想定できない。仙台と札幌、神戸、広島は異なる。類似点を無理やり探して効率的な手法を考える発想-横並び物まね-はもはや通用しない。ネットの世界では「きょうのチャンピオンは、明日の敗者」である。うまくいったと思うとすぐに陳腐化する点も日常の風景だ。ネット特有の環境を嘆くのではなく、そうした厳しい条件を、普通のこととして受け入れ、絶えず再生・循環できるような仕事環境・基盤を開発する必要がある。多様な地域社会を背景にしているからこそ可能。
特に安易な「でわ(出羽)の守」的アプローチはことごとく失敗に終わる。地域に詳しい人たちが地域固有の事情を活用し、世界とつながりつつ企てる必要がある。本当の意味での地域間競争をいかに充実させることができるかにすべてはかかっている。
⑫「未来ビジョン」自体、メディアと地域のプレイヤーとのコラボを通じて策定されるべきだが、一つだけポイントを上げるとすれば、メディアの照準は、地域社会が抱える複雑な社会問題の解決に合わせる必要がある。
⑬東日本大震災クラスの大災害にどう対応すればいいのか。7年前の教訓は生かされているか?
⑭仙台圏におけるアクティビティをフォロー中。
TOHOKU360、NPO法人メディアージ、佐藤正実さん(3.11オモイデ・アーカイブ主宰
⑮取材者であると同時に当事者であろうとするアプローチをあえて採用している。