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「これからのローカルメディア」(NHK仙台放送局 『ゴジだっちゃ!』のために用意したメモ)

「これからのローカルメディア」(NHK仙台放送局『ゴジだっちゃ!』2018年10月25日のための準備したメモ)

  • ローカルに限った話ではない。この20年の間、インターネットやデジタル技術が社会の隅々まで浸透した。今後も、人工知能、ロボットなどの技術に注目が集まり、メディアの世界も変化を重要な余儀なくされる。
  • 全国的に事業展開している新聞社やテレビ局などについては誰もが取り上げるが、各地で独自に活動してきた数多くの地方新聞社や地域を基盤とするさまざまなコミュニティ放送等はほとんど取り上げられない。
  • しかし、現実にはさまざまな新聞が存在するし、放送にも多様なスタイルが存在する。いわゆるジャーナリズムや報道の意義や価値をめぐる議論も、本来なら双方のタイプのメディアが存在することを前提に行われなければならないのに、なぜか世の中に流通するのは全国的な新聞や放送にまつわるお話ばかりだ。地域に由来する地域メディアの当事者たち自身が、ややもすると自らが担ってきた役割や責任を自ら矮小化し、全国的に展開するするメディアと地域メディアとは異なるものだと言わんばかりの勘違いな発言にも少なからず出合ってきた。あえて「地域メディアにジャーナリズムは不要だ」と言い切ることで、自らのメディアとしての意義をデザインしたつもりなのだろうが、それは重大な勘違いにすぎない。規模の大小やスタイルの違いはあっても、複雑な社会課題や地域課題に向き合うための基本的な原則に違いはない。地域メディアには地域メディアなりの、逃れられない報道原則が存在する。加えて誤報は出さない。人権は尊重するなど、実務上、守らなければならないポイントも多い。
  • インターネットの爆発的な普及に伴い、メディアの世界にも厳しい変革の時期が到来してほぼ20年が過ぎた。ややもすると無視されがちなローカルメディアにまず重点を置きながら、「これからのメディア環境」全般について、多くのみなさんとともに考えたい。新しい時代を支えるにふさわしい、ユニークで楽しげなメディア事例が全国各地に生まれ、それらがネットワークを組んで進むようなメディア環境を妄想している。
  • いわゆるマスメディアに属する地方新聞社を卒業後、この5年ほどは既存のメディアの領域については傍観するだけだった。かつて一緒に仕事をした同僚や業界有志たちのなかには新聞とデジタル&ネットを組み合わせるべく悪戦苦闘しているケースもあるが、地域に立脚するメディアのほとんどがネット時代に対応しきれず、苦戦している。
  • もちろん質問されれば全力をあげて答えたいとは思うが、まず当事者自身がその気にならなければ、問題解決のスタート台にも立てない。
  • 言うまでもなく「これからのローカルメディア」は可能性に満ちている。全国的に展開する新聞やテレビと違って、ローカルメディアの開発・運営を目指す場合、地域それぞれに独自の歴史的背景や文化を備えている。その点をしっかり意識し、自分の立ち位置を生かしたアイデアを幾つもひねり出し、試し、大多数は失敗に終わるー。そんなプロセスを覚悟する中からしか光明は見えてこない。挑戦する価値は大いにある。
  • 地域メディアの現場における実際の取り組みは、同じ業界の先行他社の事例を、何とか自社に応用しようとする、横並びの思考回路から抜け切れていない可能性がある。しかし、今後、百年を支えるストーリーが同じ業界のどこかに、適用可能な形で存在していると思ったら大間違いだ。
  • ネット技術やデジタル技術は、何か特定の業種を狙い撃ちしているわけではない。社会全体に強烈な見直しと創造を求めている。誰にも止められないし、逃れることもできない。
  • 地域に立脚するメディアが目指すべきプロセスの第一歩として、自分がよって立つ社会の変化にまず焦点を合わせよう、そこから見えてくる新しい技術と社会の関係について十分理解しながら、自らの事業を位置づけるステップを工夫しよう。
  • そんな思いで、あらためて自分の足元を見渡したところ「これからのローカルメディア」のありようについて、必要な前提を初めから押さえ、実際の活動に着手しようとしている若い世代が複数存在した。ほぼ3年を費やしてまとめたのが拙著「仙台発ローカルメディア最前線 元地方紙記者が伝えるインターネットの未来」(デジカル、2017年5月)だ。アマゾンで紙・デジタルどちらも入手可能。
  • 「仙台発ローカルメディア最前線」で紹介した3つの事例には、既存メディアの現場で苦労している少数の人たちにとっても参考になるヒントが多数ひそんでいる。「これからのローカルメディア」のありようを一つの文脈で提示することはもちろんできない。全国各地の地域事情を、デジタル&ネット、さらには人工知能やロボット技術と掛け算して初めて視界が開けるはずだからだ。たかだかこんな単純なことでも、「これからのローカルメディア」の担い手としての自覚がない人たちは残念ながら分からない。
  • 「これからのローカルメディア」は強力な地域性を最大の武器にグローバルに展開するものになることだけは間違いがない。ローカルメディアにとってジャーナリズムは邪魔だとか、全国展開するメディアと草の根のメディアは異なる-といった勘違いとは対極に広がる空間になるはずだ。
  • 地域の人々を巻き込む意義を考えたい。「ゴジだっちゃ!」の杉尾さんはじめ、スタッフのみなさんはとっくに気付いていると思うが、実際はとても難しい。地域の人々を報道の世界に巻き込もうとすると、必ず出くわすのが「報道の仕事はプロフェッショナルが責任を持って担う必要がある」といった人々だ。報道に使命を果たすために肩に力が入った人ほどそうした傾向が強い。そんなものは当然の前提にすぎない。この20年から30年の間、社会がたどってきた複雑系の世界では、価値観が多様化し、伝統的な手法では社会問題の存在さえキャッチできなくなってしまっている。
  • つまり、社会問題が存在することと、その解決のための手法やプロセスを提案することはジャーナリズム、報道、ニュースのプロたちの仕事のはずだが、実際はインターネットひとつとっても「内向きプロたち」の手には余る。組織の都合や生産(プロダクツ)する立場の論理を優先的に振りかざしがちな人には、問題のありかを言い当てることができない。在野の人々の知識や経験が内向きのプロをしのぐことは珍しくないことにさえ気づかない。ソーシャルメディアによる開放系の情報経路の発達がごく普通の時代になっても、古い常識にとらわれ続ける人たちには、拙著「仙台発ローカルメディア最前線」で取り上げている「未来ビジョン」の受講をおすすめする。
  • インターネット登場以来の刺激的で、自らの立ち位置を揺さぶられるような日々を通じて、メディアと市民との連携・協業の重要性にやっと気づいた。ローカルメディアだからこそ可能なシナリオを考えたい。拙著の第1部に記した「TOHOKU360の挑戦」「ウルッシーの八面六臂」「地域アーカイブの地平」をぜひ読んでみてほしい。いずれも「これからのローカルメディア」の典型的な成功事例とはまだいえない。あくまで途中経過、模索の現場だが、そこで彼ら彼女らが向き合っているのは、今後すべてのローカルメディアが乗り越えなければならない壁である。
  • 抱えている問題も、一つひとつにしっかり向き合わないと解けない。普通の人々が参加するメディアといっても、経験はほとんどない。日本でも、市民メディアの議論の中で市民参加のケースがなかったわけではないが、すべて失敗に終わっている。その理由は、ビジネスモデルの新しい形を目指すあまり、メディアとしての手順や実態が粗雑で荒っぽく、ニュースメディアとしての価値を有するかどうかの検証も不十分だった。
  • 前職中からNHKの放送局の方と何度も話す機会があった。テーマはいずれも同じ「地域との連携」「視聴者との交流」を進めるうえでネットをどう使えばいいか、だった。NHK仙台放送局の「ゴジだっちゃ!」は、2011年3月11日の東日本大震災の経験を踏まえながら地域と連携するシーンをいくつも作りつつあるように見える。それはとりもなおさす、仙台という百万都市における「これからのローカルメディア」づくりの一例だ。
  • 既存メディアの中にいる後輩たちも、こうしたことはとっくに気付いていて真剣に取り組んでいると思いたい。既に「市民記者」的なアプローチを採用している事例も結構あるはずだ。
  • しかしながら、既存のメディアの現場では、市民記者は本職の記者の仕事の空白や余白を埋めるためだけに利用されがちだ。素人の文章は手がかかる、危ないと本音では思いながら上から目線でのぞむことがないわけでもないだろう。市民との関係を自分本位で組み立てようとしても無理。市民は、新聞社の経営を助ける合理化ツールではない。人件費を節約するためだけに市民記者を使うような発想は市民に対して失礼というものだ。
  • 私自身も何度も経験したが「文章教室」を新聞記者に頼むケースがよくある。新聞記者は文章のプロ、という思い込みが世間的には存在する。しかし、新聞記者は新聞業界が長い時間をかけて作り上げてきた新聞独自のルールの世界で文章を書くのは得意だが、日本語の魅力や可能性を柔軟に取り入れる意味では、必ずしもたけているわけではない。ごく普通の暮らしの中で物事をとらえる人たちの感性や文章表現の幅の広さを、新聞社で働いているというだけで自動的に上回れるものでもない。
  • TOHOKU360編集現場をのぞいてほしい。取材し、編集・発信するニュースの現場にはさまざまな役割がある。市民参加のメディアは、その役割を明確にし、多くの人たちが担えるような環境を備える。その姿はまるで「ニュースコミュニティ」のようだ。
  • ニュースを編集する過程の最終関門として、ニュースの内容に責任を持つ、誤報は出さないという二つの要請を確実にするために、校閲などの編集上の工夫が必須になる。TOHOKU360の場合、ニュースを取材し執筆する「通信員」(=ライター)一人ひとりの個性や感性を最大限重視する。他のメディアと不毛な競争をするために「通信員」の個性をそぐこともしない。編集責任者と「通信員」の間でキャッチボールが何度も繰り返されて初めてニュースとして公開される。実際にやってみるとすぐに分かるが、「通信員」の個性を尊重しながら公開可能な記事に仕上げる作業は、簡単ではない。
  • 既存の新聞社にも、いわゆるデスク、キャップと呼ばれる立場がある。その場合も経験と失敗、失敗してもまた立ち上がる能力が必要だが、新聞独自の編集ルールがある分だけTOHOKU360よりは容易な側面がある。新聞の世界でデスク、キャップと呼ばれ、他の記者が書いた記事を公開可能な形に仕上げる役割を長いこと経験した立場からしても、TOHOKU360のデスクワークには忍耐力と柔軟な感覚、筆者とのコミュニケーション能力が求められる。
    (終)

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