地域報道メディアとして「ひばりタイムス」がカバーしている範囲は広範で、テーマも多岐にわたります。「ひばりタイムス」の設立以来、ほぼ5年。北嶋編集長が取り組んできた地域ライターのみなさんへの声掛けからネットワークづくり、報道メディアとしての試行錯誤について正確に論評できる人はほとんどいないかもしれません。
特に地域の諸問題と直に向き合うには、規模の大小を問わず、事実を正確に伝えるという、メディアにとって不可欠な前提をクリアする必要があります。既存のメディアで報道分野に携わった経験者なら誰もがためらう難問と言えるかもしれません。
「ひばりタイムス」の記事にはすべて署名が入っています。「書くことには当然、責任が伴います。公的な空間に書いた文章をさらすのだから、事実関係の確認は可能な限り念入りにやります。仮に、間違ったら即、訂正することを心掛けています。必要だったらお詫びもします。間違いを完全に防ぐことは難しい。5年間やってきて、一番の不安はそれです。自分が編集長として単純なミスをしないような、ある種、注意力を維持できるかどうかが、最大の問題です」
地域メディアとして地域に向き合うことの悩ましさについて北嶋さんは「自分の住んでいる地域で報道メディアを運営する場合、取材対象となる人々やそのニュースの影響範囲にいる人に出会う可能性が日常的に高くなります。事実確認がおろそかになったり、完全には避けえないミスが起きたりすればそれだけで『致命的』です」と振り返っています。
「たとえば、市の政策をめぐってものすごい反対運動が起きているとします。反対運動に取り組む側の事情に共感できる場合、それをニュースとしてうまく書くにはどうすればいいか。決して簡単ではありません。伝統的な報道の世界では、こうした微妙な事例をひとつずつ解決してきました」
北嶋さんが例に上げているのは、一方の主張に偏ることを避けるあまり、焦点がぼけ、ときには「つまらない」「物足りない」などの批判を受けてきた既存のメディアの伝統的な報道表現のことでしょうか。
「『ひばりタイムス』は、どちらの側にもよく受け止めてもらうということではなく、今の時点で、こういう進行だったよな、と落ち着ける内容になっているとともに、後から読んだ時に、なるほどそうだったのか、と、事態があまり歪まないような、参照に耐えうるような書き方をしたい」
「ひばりタイムス」に書いてくれるライターの人たちの「書きたい」「発言したい」というエネルギーは相当なものがあるそうです。しかし、北嶋さんは「わたしが講座なんかでよく言うのは、その言いたい、書きたいという気持ちをいったん自分の中にしまってほしい。今、起きていることをあなたたちの気持ちで、できるだけ淡々と描いてほしいということです」と話しています。
地域のライターたちとじっくり付き合っていると、プロの取材者でも気が付かない視点や表現の工夫が見えてきます。自分の言いたいことを書いて伝えるという仕事は特別に訓練されたプロの取材者たちだけに許された特権ではありません。
「何かを主張する、表現すると、どうしても摩擦を生みやすい。でもここは報道メディアであって、主義主張のためのサイトではありません。起こったことを可能な限り、起こったように伝える報道サイトです。もちろん記事を書くに際して、やむをえず、自分の気持ちをこめることがあるかもしれません。でも、初めから何かを『主張する』『表現する』場ではありません」
「ひばりタイムス」はウェブのほか、メールやフェイスブック、ツイッターなどのソーシャルメディアを活用しています。インターネットが登場して20年。ソーシャルメディアが発達し、文章や写真・動画をネットを通じて発信するだけなら容易になりました。実際の世界は残念ながらネットを悪用した中傷やデマが少なくありません。自分の立場を正当化することにしか関心がないように見える主張や論争も目立ちます。
「ソーシャルメディア時代は、伝統的な報道スタイルが潜り抜けてきた、制約、緊張条件がまったくなくなってしまって、書こうと思えば、何でも書けるようになってしまった。そこで逆にみんなが困っているのかもしれないですね」
ネットとメディアの組み合わせが生まれたばかりのころ、伝統的なメディアの運営者たちの関心は、当事者間の非難の応酬が爆発的に繰り返される、いわゆる「炎上」の問題に向かいました。ソーシャルメディアも発達した現在、新しいメディアを創設するには難しい問題も予想されます。
北嶋さんは「確かにソーシャルメディアの現状は、誰もがおもらしをしている状態」と笑いながら「それでも個人や個性を開花させる条件が整ったという風にニュートラルにとらえたい。ネットが登場する前の、ある種、秩序だった情報空間にはもう戻れないでしょう」と強調しています。