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1年たちました。メディアプロジェクト仙台

archives_localご無沙汰しております。お元気でお過ごしのことと思います。昨年4月に河北新報社を卒業させていただくと同時に立ち上げた一般社団法人「メディアプロジェクト仙台」からの1周年のあいさつをさせていただきます。

組織を離れてフリーで活動するのは初めてのことでした。いろいろと戸惑いや目算のくるいもありましたが、地域に根差したメディアのありようを中長期的に考えるきっかけが数多くありました。大きなメディア組織の中から見てきた風景とはかなり異なります。

地域で既に活動・展開している「メディア的な人々」やメディア事例は予想をはるかに超えて多様です。伝統的なマスメディアに比べれば、まるで微弱電波のような、小さなメディアでも、その活動の主体になっている人たちの意識の高さや、課題を解決する方法論の、柔軟でたくましいことには驚かされます。

20年前、慣れ親しんでいた新聞報道の世界からウェブ&デジタルの世界に移りました。当時、国内に頼るつてもなく、インターネットの発祥の地である米国に1年置きに通うようになりました。当時の米国では、新聞ビジネスがインターネットに脅かされ、伝統的なメディアの至るところにほころびが目立ち始めていました。新聞の読者、購読者である市民の側は、新聞やテレビに対する評価とは別のところで、ライフスタイルの変化としてネットを受け入れつつありました。

今、目の前に広がっているメディア状況は、あのとき米国の地域社会で見たシーンとどこかで結びつくような気がしています。とりあえず、身近なところからフォローすべく、小さな取材を続けていますが、一体、いつになったら全体像が見えてくるのか、皆目、見当がつきません。いわゆる「市民メディア」の分野についても、もう一度、確認し、次のフェーズを見通す必要を感じます。

新聞とデジタルの関係が日本でも取りざたされるようになってもう20年になります。新聞社によってその経験はさまざまに異なりますが、世の中がどちらに進んでいるかについて、いまだに不案内なリーダーはいないと思います。日本の新聞業界は総体的に見て、デジタルに積極的な社と、この20年の「経験」を踏まえてデジタルを断念、あるいは何とかう回しようと試みる社に分かれているように見えます。

二極化というよりも、積極的に取り組むごく少数の「極」と、その他大多数の「極」といった状態でしょうか。デジタルをう回しようとする判断を否定するわけではありませんが、紙一途に確かな勝算があってのことならともかく、そうこうしているうちに、この20年間、せっかく育った少数のウェブ人材、デジタル人材さえも途絶えてしまうことを懸念します。地域に由来する新聞社のデジタルの現場に20年もいた一人として、自信を持って言えるのは、デジタルに取り組める人材を育てるにはそれなりに時間がかかることです。今、デジタルを何とか理解できる人でも、何日かサボると、状況がまったく見えなくなる可能性さえあります。百年超のビジネスモデルを維持するのとはまったく異なります。

自分を育ててくれた地方新聞社についても、立場を変えてではありますが、これまで通り、強い関心を抱いています。大所高所、安全地帯からのメディア論はいくらでも可能ですが、新聞社の現場を担う若い世代の気持ちや実践に向かうエネルギーをそぐようなことがあってはいけないと、肝に銘じているところです。

ぶしつけながら、この1年間の活動の様子はウェブサイト「WEB日誌2.0」に報告してあります。フェイスブックページ「メディアプロジェクト仙台」と連動させる形で運営しております。お時間とご関心のある方はお立ち寄りください。

末尾になりますが、原稿より健康。ご自愛ください。

【写真】地域メディアをデザインするためのポイントの一つが「地域アーカイブ」。3月に開かれた国連防災世界会議でも、アーカイブの構築・利活用に関する議論が行われた。(2015年3月11日、仙台市市民活動サポートセンター)

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