手元にある「北上山地に生きる」という本が気になって読み返しています。副題が「日本の底辺からの報告」。河北新報社盛岡支社編集部編。1973年(昭和48年)に勁草書房から出版されました。
「北上山地」について筆者たちは「はじめに」の中で「この本の読者たちはどこにあるかご存じだろうか。どんなイメージをお持ちだろうか」と問い掛けています。自治体名で言えばこの本の舞台は「岩手県下閉伊郡岩泉町」を中心とする「北上山地」です。自治体名に思い当たるでしょうか。「台風10号」が8月30日にかけて大きな被害をもたらし、災害報道がいまだに途切れないでいる、あの「岩泉町」です。
「北上山地は岩手県をほぼ縦断して流れる北上川と、リアス式の三陸海岸に挟まれた南北180キロ、東西最大80キロの紡錘形をした標高600mから1200メートルの広大な準平原である」
「戦前はもちろん、地域開発ブームにわいた戦後でさえ、国や県からまったく見捨てられた地域であった」「なにしろ貧しすぎるのだ。学区内55戸のうち水田の所有者は1割。その中で自家飯米を確保できる家といったら、一戸か二戸にすぎない」
「北上山地に生きる」は1972年1月から11月まで河北新報岩手県版に連載されました。5部89回に及ぶ連載でした。「地方創生」を言い出すまでもなく、東北地方を語るときに貧困や過疎、悲しいまでに豊かで奥深い自然を無視することはできません。個人的な話になり恐縮ですが「北上山地」を手に取ったのは河北新報に入社する1年前でした。地方新聞社の記者とは「北上山地」のような取材を担当するのがメーンの仕事なのだろうと、漠然とではありますが実感させてくれた作品です。
災害取材にあたる記者たちは現場の一つひとつに、泥だらけになって向き合います。5年半が過ぎた東日本大震災でも同様でした。被害者一人ひとりの視線を丹念に追い続ける限り、記者活動はどうしても「細部に宿る」ものになりがちですが、一方で「北上山地に生きる」のように、国家戦略のレベルの問題意識を持ちながら「日本の底辺」に張り付く取材もまた、地方記者の醍醐味ではないかと思うのです。「北上山地に生きる」から東日本大震災を経て、2020年の東京オリンピックに向かうような圧倒的な「底辺」報道を期待したいものです。