これを推奨するつもりはないけれど、備忘録的にチェックしておこう。SNSに関する議論にはおよそ正解ということがない。議論するタイミングと背景の違いによって様相が異なる。無理に決めつけることなく、柔かな発想でのぞもう。そうすればSNS自体が目的ではないことがよく分かる。
http://machinokoto.net/machimachi/
東北発のニュースサイト「TOHOK…
長いこと新聞社で働いていたのに、自分…
それなのに彼ら彼女らこそがバリューであるとはなぜか思わなかった。あまりに身近な人たちであり、友だちについて書くことに戸惑いもあった。確かに知人・友人に登場してもらうには、ある種の覚悟を要するが、それにしても、ニュースバリューを考える物差しが少しくるっていたとしか思えない。いわゆるニュースを育む過程にもっと柔軟性と多様性を持たせ、それにふさわしい表現力や発信力を身に着けることが必要な気がする。
それはデジタルがどうのと言っていられる問題でもない。
「TOHOKU360ネットワークニュ…
メディア分野の新しい取り組みです。さ…
男性シニアはどこに行っている?
午前6時起きしてジイさんは山へ芝刈りに・・ということでもありませんが、早起き仕事して、市バスで山(自宅は標高90mちょっとの山の上にあります)を下り、仙台市内でも有数の高層ビルで打ち合わせ会議。軽いランチの後、いつものカフェで原稿や企画書を「ああでもないこうでもない」とやっていると、何やら周囲がにぎやかになってきます。
多くはカルチャー帰りのシニア世代。女性に比べれば男性はなぜか数が少ない。数少ない男性の様子をそっとながめていると、思い切り元気がいいか、いるかいないかまるで分からない。どちらかなのです。また、日中は、男性だけのグループが少ない、というかほとんど見かけないような気がします。それなら男たちは夜になるとどこかに繰り出すのかといえば、知っている限り、同世代の男たちは酒席の滞在時間がごくごく短くなっています。若いころはあんなに暴れていた男たちがバスが・・地下鉄が・・と、いそいそしはじめるのは別段珍しい風景でもなくなりました。
世の男性シニア(ここでは60から65歳ぐらいまで。その前後世代)は一体、どこにいるのでしょう?いわゆる「団塊の世代」は法制度上の定年が65歳まで伸びたこともあって、まだ働いているのでしょうか。60歳でお約束の定年を迎え、事情あって前職での就労を2年も延長し、今、フリーになってみた感じでは、60過ぎての1年や2年はあっという間です。過去を振り返りながらの尺度はあまり有効ではありません。その次どうするかが、切実な問題としてやってくるのですよ。何しろそこはまったく未経験の白地に等しい世界ですから・・。
たまたま、男性シニアがボランティア、NPOといった、非営利分野にかかわる条件や実際のケースについてあれやこれやしていたので、メモ代わりに記してみました。
同輩たちはどこに行ってしまったのでし…
http://www.media-project-sendai.com/?p=942
「Web日誌2.0」を更新しました。「…
http://www.media-project-sendai.com/?p=935
駄文を連ねて100万字/河北新報「Web日誌」
河北新報社でネット分野の仕事に携わりながら「Web日誌」という名のブログを不定期で書いていま した。「Web」は「ウェブ」と読みます。なぜ「Web」は大文字と小文字まじりなのかと、何かの機会に質問されたのを思い出します。先日、必要があって、その内容を振り返ってみました。
「Web日誌」は1997年12月26日から2013年3月12日まで、15年ちょっとにわたって続きました。当時、同じセクションで働いていた同僚にも手伝ってもらいました。写真を除いてテキスト部分だけを概算したところ、合計で100万字を超えました。「駄文を連ねて100万字」。他に仕事はなかったのかと、我ながら驚き、かつあきれます。
「Web日誌」を始めた当時、新聞界ではインターネットの「イ」の字も知らない人が大多数でした。東京には専門家、研究者が何人かいましたが、彼らが気にしていたのはおおむね通信との融合のような領域でした。新聞とインターネットを同時に考えている研究者はごくわずかでした。
自分でも、聞きかじりの知識しかなく、いわゆる「ホームページ」の作り方を市販のテキストを購入して一から覚えました。米国から突然、やってきたインターネットが一体、どんなものなのか。情報を集めては、自分なりに集約し、社内の何人か、特に社業の方向性を決める立場にあるリーダーたちに読んでもらいたいと思って始めたのが「Web日誌」でした。いわば、ごく狭い範囲の同志たちとともに、インターネットについて考えるための材料を提供するつもりのメディアでした。社内周知のためのメディアといってもいいでしょう。
だから、初めからインターネットを批判的に読み解く立場にはあえて立っていません。インターネットが本質的に批判されるべきものであるなら、自分の役割も不要です。さっさと紙の世界に戻るべきでした。幸い、インターネットが提案していた世界観と、それに基づく社会の大変革の行方を考えれば、インターネットを無視しては、新聞も新聞社の将来もあり得ないぐらいのことは直感で分かりました。
新聞記者のなれの果てが書くものとしては、実にぬるい文章が並んでいますが、時系列に追ってみると、インターネットに接したときの驚き、興奮、不安、焦りの気持ちがよく流れています。特に地方新聞社がインターネットとどう向き合っているのかを知るため、機会をとらえてはインターネット発祥の地、米国に向かいました。その都度の報告も「Web日誌」に掲載してあります。当時、時期をほとんど同じくして米国から日本に入ってきた、非営利組織(NPO)が個人的なテーマとなっており、NPOに関する取材・調査と合わせ技にできた点が、個人的な取材旅行を可能にしました。
「Web日誌」は突っ込みどころ満載です。自分で、当時の自分に突っ込みを入れてみると、なぜ、自分と、自分が属する世界がインターネットに翻弄され続けたか。その理由が分かるような気がします。避けようとしても避けられない大変革を前に、その変革の意味を分析する意欲もなければ、力もなかった。当面、力がないのは当たり前なのだから、たとえつらくとも総力を挙げて力をつけるべきなのに、最低限の努力さえ回避してしまったのではないか。
報道価値だけを考えれば、「Web日誌」は、時として核心を避け続けてきた駄文の連なりに見えるかもしれません。「趣味的なコラム」と言ってもおかしくありません。実際、同様のことを同じ業界にすむ人から何度も言われました。それでも、「社内周知メディア」あるいは「趣味のコラム」を延々と追っていると、インターネット草創期以降の15年という、時間の流れを再確認できるようです。新しいメディア環境の下で、地域メディアのありようを考える文脈と自然に重なるのも、何やらうれしいのです。
「Web日誌2.0」を更新しました。振…
http://www.media-project-sendai.com/?p=930